
「粘菌」に学んだチップが、
世界の半導体工場を動かす。
モノ・情報・エネルギーを流動させる、
Amoeba Energyの新原理。

CEO/代表取締役社長
品川から未来を描く「AMOEBA ENERGY」
インキュベーションオフィス・コミュニティ「SPROUND」。日鉄興和不動産とDNX Venturesが共同運営するこの拠点で、新たな概念のコンピュータ開発に挑む企業がAmoeba Energy(アメーバエナジー)株式会社です。お話を伺ったのは、慶應義塾大学の准教授というポジションから起業家へと転身した、代表取締役社長の青野真士さん。単細胞生物である「粘菌(アメーバ)」のメカニズムから着想を得た「アメーバコンピュータ」とは何か。そして、テック企業が集積する品川でどのようなイノベーションを描いているのか、その全貌に迫ります。
1995年の衝撃と複雑系との出会い
大学入学当初は慶應義塾大学のラグビー部に所属する体育会系だった青野さん。しかし、1995年という激動の時代が人生を変えることになります。
青野:
「私が大学1年生だった1995年は、阪神大震災や未曾有のテロ事件、相次ぐ金融機関の破綻、そしてWindows95の発売などが重なった年でした。このままではいけない、世の中が大きく変わる気がする、と直感したんです。それまではラグビーに本気で打ち込んでいて、1年生で早慶戦のベンチにも入りました。一つの手応えをつかんだからこそ、逆に『自分が本当に向き合いたいのは何か』を見つめ直せたんです。これだけの出来事が同時に起きる世界が、どういう仕組みで動き、組み変わっていくのか?それを根っこから理解したい。その思いで、研究の道を選びました」
研究の世界に飛び込んだ青野さんが出会ったのが、複雑系という分野でした。
青野:
「複雑系は当時注目を集めていたテーマでもあるのですが、個々のエージェントが全体を見渡せる視野を持っていなくても、自分の周りのローカルな情報だけで相互作用する中で、チーム全体として理にかなった振る舞いが立ち上がる、いわゆる『創発』する仕組みを探求する分野です。これは、私が経験してきたラグビーとも強く結びついていました。プレイヤーはグラウンドのすべてを知らなくても、個々の判断が積み重なることでチームとして機能する。これが非常に面白いと感じ、コンピュータ上にモデルを作って解明する研究に没頭していきました」
この研究において青野さんが大きなヒントを得たのが、脳も神経も持たない単細胞生物「粘菌」でした。ひとつの細胞でありながら群れのように振る舞う粘菌は、自らにとって最も効率の良い形へとネットワークを自律的に最適化していきます。司令塔がなくても、全体として渋滞を避け、最適な経路を見つけ出すその仕組みに、未来の計算機の可能性を見出したのです。

「研究の成果を現場で動かしたい」
アカデミアからの転身
神戸大学大学院で修士・博士号を取得した青野さんは、理化学研究所や東京工業大学での研究を経て、2017年に慶應義塾大学環境情報学部の准教授に着任します。粘菌に学んだ計算の研究を深めるなかで、ある想いが強くなっていきました。
青野:
「私が研究してきたのは、『計算や知性とは、実は生き物とそれを取り巻く環境とのあいだで立ち上がる現象だ』という考え方でした。粘菌が、自分の体と外界とのやり取りのなかで答えにたどり着くように。だとすれば、その原理は、論文の中だけでは半分しか確かめられない。本物の現場の制約とつながって、初めて完成する。そう思うようになっていったんです」
理論を現実の制約と結びつけ、動くところまで実装しきる。その営みは、大学という場の仕組みとは、少しずつ噛み合わなくなっていきました。
青野:
「論文を書くことと、製品を世に出すことは、取るべき行動がまるで違います。大学は公的な資金で研究する場ですから、特定のお客様の課題に全力でコミットして、実装まで全振りするのは、構造上どうしても難しい。自分の研究を、論文の結論で終わらせたくなかった。現場で動くところまで、自分の力で押し出したかったんです」
青野さんは2018年、自らの計算原理を現実の世界で動かすため Amoeba Energy株式会社を設立します。しばらくは大学に籍を置いたまま事業を育てましたが、2020年、「なぜ安定したポジションを手放すのか」という声を背に、准教授の職を辞して実装の道に専念することを選びました。

AIのハルシネーションを防ぐ
「制約ファースト」の新原理
AMOEBA ENERGYが開発する「アメーバコンピュータ」は、無数の選択肢から最適な組合せを見つける「組合せ最適化問題」を高速に処理する専用計算機(半導体チップ)です。
青野:
「半導体工場における自動搬送ロボットを例に話すと、巨大な半導体工場では数千台のロボットがクリーンルームを走り回り、ウェーハを搬送しているわけですが、ここで発生するロボットの『渋滞』は莫大な機会損失に直結します。この渋滞を解消するには、『組合せ爆発』による膨大な計算量を伴うマルチエージェントの走行計画を解き、ロボットの協調制御を行う必要があります」
この課題に対し、既存の量子コンピュータや流行のAIを適用しようとしても、実運用では大きな壁にぶつかると青野さんは指摘します。
青野:
「量子コンピュータは量子ビット数が小さく、数千台規模の巨大な工場問題を扱うのが困難です。一方、AIのような学習型の手法は、搬送時間の短縮といった『目的関数』を優先するあまり、物理的に実現できない動作や実用的に許されない違反を含む解を出すことがあります。一見素晴らしい効率に見えても、『ロボット同士が衝突したまま通り抜けている』『荷物を取りこぼしている』といった、AIのハルシネーション(幻覚)に似た『制約違反』が起きるんです。そうした齟齬を見つけて一部分だけを直そうとしても、変更は全体に波及するため、結局はイチから解き直すことになります。インフラ制御において、これでは使い物になりません」
この課題を打破するのが、粘菌の行動モデルを基にした「制約ファースト」を特徴とする「アメーバコンピュータ」です。
青野:
「私たちの計算機は、ロボットが衝突しない、分裂しないといった『実現不可能な動きをしない』という制約や、『指定された運動性能で指定した時刻に指定した場所に到着する』といった制約を満たすことを最優先で担保します。物理的・実用的に実行可能な解であることを保証した上で、最適化を行っていく。そのような問題を可能な限り細粒度の変数に分解して表現し、極限まで高めた並列処理を実行できるハードウェアを開発することによって、解探索を桁違いに高速化する。この新原理だからこそ、現場のビジネス課題を確実に解決できるんです」

品川「SPROUND」を拠点に
SaaS企業から学ぶ現場感
現在、エンジニアチームはフルリモートで開発を行っていますが、品川駅徒歩3分のインキュベーションオフィス・コミュニティ「SPROUND」を、社内外の議論を行う重要な拠点として活用しています。
青野:
「品川は新幹線や羽田空港からのアクセスが良く、全国や海外のお客様と集まるのに最適な立地です。さらに、運営の方々が利用企業同士のつながりを作るイベントなどを企画し、コミュニティの醸成に気合いを入れてくれていて、何でもオープンに話せる環境があります」
ハードウェアを開発するAMOEBA ENERGYにとって、周囲のBtoB SaaSを中心としたソフトウェア企業は毛色が異なるように思えますが、非常に大きな刺激を受けていると言います。
青野:
「周囲のSaaSスタートアップの方々は、生成AIに対する感度が極めて高く、自社のプロダクト開発やセールスやカスタマーサクセスにどうAIを組み込むか、うわべでなく真剣に向き合っています。ハードウェア主体の私たちにとって、彼らのAIに対するリアルな現場感や悩みを学べることは大きなメリットです」
このSPROUNDの熱量が、品川エリア全体へと広がる未来も期待したいと語る青野さん。
青野:
「品川エリアには、ソニーやキヤノン、マイクロソフト、NTT、そして今後はトヨタといった名だたるエンタープライズ企業が集積しており、高い潜在性があります。SPROUNDに集まる最先端のSaaS企業と、これら大手企業をつなぐ交流イベントなどもあれば面白いですね。大企業側はスタートアップからAI活用のリアリティを学び、スタートアップ側は事業課題やPoCの機会を獲得できる。そんな相互学習の場になることを期待しています」

2028年の社会実装、
モノ・情報・エネルギーが流れる社会へ向けて
2026年現在、AMOEBA ENERGYは目標に向けて着実に歩みを進めています。
青野:
「半導体工場向けアメーバコンピュータのFPGAチップの試作機が完成フェーズを迎えています。顧客企業とは週3~4回の頻度でミーティングを重ね、性能評価や要件の精緻化を進めている段階です。国内では経済安全保障や地政学的状況を背景に、熊本や北海道などで半導体工場の新設が続いています。この世界的な追い風を捉えて、新工場への導入を目指します。まずは2027年から2028年にかけて、アピールと検証を加速させていきます」
アメーバコンピュータがもたらす変革は、半導体工場だけにとどまりません。
青野:
「私たちが取り組むマルチエージェントの最適化問題は、倉庫のAGVの走行計画、通信ネットワークのデータパケット制御、電力網の需給バランスなど、あらゆるインフラに共通する課題です。実社会では、装置の故障や異常トラフィックといった想定外の事態が日常的に起こります。アメーバコンピュータが社会実装された先には、トラブルが起きてもリアルタイムにスケジュールを再構成し、瞬時に迂回ルートを提示できるようになります。モノ・情報・エネルギーが目詰まりすることなく、欲しい時に欲しい場所へサラサラと流れ続ける社会。それこそが、私たちが実現したいインフラの未来です」
粘菌の知性をハードウェアへと昇華させ、世界のインフラを最適化しようとするAMOEBA ENERGYの挑戦は、品川から確かな一歩を踏み出しています。



